あと25年


先日またまた地元に帰ったときに、実家の庭で焼肉をした。肉が全部鶏肉だった。


「おしゃれはうすひろし」があるくらいおしゃれな僕の地元。その片隅に住んでいる僕のお母さんとお姉ちゃんは肉を食べない。魚は食べるのでいわゆる菜食主義者ベジタリアンではないと思うのだが、自分で肉を食べないせいか肉に関する知識がとんと無い。どのくらい無いかというと昔、「ごはんよ今日は焼肉よー」と呼ばれて肉が食えるとダッシュで向かった食卓に置いてあったホットプレートにはベーコンが敷き詰められていた、くらい知識が無い。当時思春期真っ盛り、過敏な中学生だった僕はグレそうになった記憶がある。


食卓で姉弟の肉の取り合いがおきない平和な家庭に育ったせいか、地元を離れ、周りを見れば肉ばっか食ってるヤツに囲まれた高校生になってから本格的に肉を喰らう事を覚えた。しかし金銭観念の無い青二才だった僕は、所持金が底を尽き三日絶食してハンバーガーを8個食うような無茶な生活を送った事もあった。その時はハラがへり過ぎて学校にすら行けなくなり、友人が心配して持ってきてくれたクーポンと友人のマネーをフル活用して見事8個のハンバーガーを完食するという快挙に至ったのだが、人間腹が減りすぎると寝るしかない、という事を身をもって学んだ貴重な体験だった。


とまあ素敵なBBQを自宅の庭で行い、久々の家族団欒の食卓を囲んでいた時に母親がふと「もう来年30か〜早いね〜定年まであと25年しかないよ。最近は定年が55歳やとよ」と言った。「あそーなんだー」考えた事もなかった。25年…?


東京に戻ってから同僚と会社の上司にそんな会話を実家でしたと話したら「25年”も”あるんだよ?まだまだ長いよ」的な事を言っていたが、僕は25年では足りないと思う。というか全然足りない、定年まであと”たった”25年しかないのだ。


30にリーチがかかった僕の人生で考えると定年までは折り返し地点を過ぎている計算になり、家を30年ローンでも組もうものなら定年後も払い続けなければならない事になる。仕事でも遊びでも、やりたい事も、行きたい場所も、出会いたい人に出会う事もどう計算してもとてもとても25年ではぜんっぜん時間が足りるとは思えず、自分の一生、僕に残された時間の短さに愕然とした。


自分に残された時間内で出来るやりたい事、行ける場所、出会える人を、絞り込めるほどまだその事について真剣に考えた事がなかった僕は、母親のその一言以来凄く考えるようになった。やりたい事や行きたい場所、出会いたい人が多すぎる今の僕は、ある意味物凄く子供なんだと思う。自分には物凄く明るい未来が待っていて、時間はふんだんにあり、壁にぶつかっても運や周りの人の協力に支えられ時間をかけて乗り越え大人になって行くもんだと、そう勘違いしている中年の姿をした大きな子供なのだ。出来る事と出来ない事の判別はつくのに、出来ない事があるという事実を認めたくないワガママな駄々っ子なのだ。


一生かかってもわからずじまいなのかもしれないが、でも自分のやりたい事を絞り込む努力をしてみてもいいのかもしれない。その絞り込みが出来た事こそ、僕の人生における本当の”目標”となる気がする。目標を持とうとするのではなく、やりたい事を”目標”にしてしまうのだ。妥協するのではなく、絞り込み、順番を付ける。そして達成可能そうなランクの低い”目標”から片付けてゆく。目標はあくまで全てやりきるのだ、残された時間内に。死ぬ寸前にまとめよう、出来た”目標”とやってみたけど出来なかった”目標”を。


途中で変わるかもしれないし諦めるかもしれない、でもその”目標”に向かって進んで行けば、明確な目標が無くあれもこれもやりたい今の自分よりも充実した人生が送れる気がする。達成する事が出来たり諦めたら次の”目標”に向かえばいい。だって僕の”目標”とはやりたい事であり、それは際限無くあるから。目標が無くなって燃え尽きる心配も無い、次も目白押しだ。あれ?結局一緒か?まいーや。


明日離婚ほやほやの親友と会う際に何て声をかけたらいいのか考えていて、しかもテレビで9.11テロの特番を見て、そんな事を思った。定年まであと25年、実際はもっと短いかもしれない。でも一つづつ”目標”を片付けてゆけば、自分のやりたい事を試す事すらせずに終わる人生よりまだマシだ。何をやりたいか自問自答しながら結果やらずに、あん時あれをやっていれば…って、どうせ絶対思うとは思うが、そう思う事が今よりちょっとでも少なくなれば、それはそれでよしと思えるように、今のうちから頑張ってみよう。


でもでーおでねーやりたい事が多すぎてねー絞り込めなくてねーどうしようもないからねー結局ねーダメな気がするのねー(バナナマン日村がマネしている子供の頃の貴乃花風)


という事で取り合えずの達成可能そうなやりたい事はデート、行きたい場所はキャバクラ、出会いたい人はマイワイフって事でいこー


ちなみに、僕の友人のじいちゃんは死ぬ寸前に「我が人生に一片の悔い無し」と、ラオウ大豪院邪鬼バリの辞世の句を残したそうな。絶対ネタだよそんなワケねーじゃんって思うけど、そう言えるってカッコいい、なんか。DJnosweatでした。