主張

9月中に仙台に行こう、と思っている。そして10月には結婚式で地元に帰る。理由はどうあれ旅とはいいモノです。


僕は旅が大好きだ。友達と行く、一人で行く、どちらも別な楽しみ方があるが、ただ僕の場合は基本的に一人で行く事の方が多い。というのも目的地を決めてから行く旅の場合は友達と行く方が楽しいが、やりたい事があって、そこから場所を決める場合は一人で行く方が楽しいと感じるからだ。


つまり、友達と旅に出る場合は目的地でいかに楽しめるか?という事を重視するが、自分がやりたい事・見たい事を重視して場所を決めた場合は一人の方が動けるからである。例えば旅ではないが、僕の大好きなキャンプにミュールを履いた女子が来た場合、ん〜ましょーがねっかっ☆(怒)って思うが、「お風呂無いの?」とか「キャー虫がいる〜!」「だからキャンプって嫌いなんだよね〜やっぱお家が一番だよねっ☆」なんて言い出したら、それはそれは速やかな死を提供したいと思うからである。結局その夜酒飲んで二人で消えて行くくせにチキショーッ!


話は少しズレてしまったが、これが見たいやりたいって旅に出て、その場に着いて文句言われるのがイヤだからであり、着いた場所で違う楽しみを見つけて目的を簡単に変えられるからである。プラス目的地に着く前にもっと面白そうなトコがあったら、目的地・したい事自体を容易に変更出来るからであります。そう、僕ってばワガママなんス。(未来の僕の妻へ:僕が僕の目的よりも優先したいと思う事だったりする場合はこの限りではありません。)


しかも僕の場合いかにお金を使わず楽しめるかって事に重点を置いているので、一人の方が他人に迷惑をかけずに済むし、のんびりゆっくり楽して楽しい旅も無論アリですが、それはもうちょっと歳を重ねてからでいいと思っているからであります。金はあるが体力は無い、という事態に陥る前に、金は無いが体力と時間にモノをいわせてイロイロやっとこうという魂胆である。今現在彼女もいない僕ですが、結婚したり、老いていくとそんな無茶は出来なくなる事が安易に想像出来ます。将来時間しか無いという事も考えられますが…。


なので今度の仙台へはバイクで高速使わずに行こうと計画している。ガス代とメシ代だけ持って友達のトコに泊まるし、寝袋持って行くから辿り着けなくても安心。前回の富士山の時は現地人に「凍え死ぬよっ!」って止められた(怒られた)が、今回は時期的に大丈夫であろう。


最近「日記じゃなくて思い出じゃん!」って言われるが、また旅といえば僕は昔、最長1,700キロの旅をした事があった。学生時代の事であるが、その時の一番の思い出が夕日である。地平線に沈む美しい夕日、それは写真で見ても、想像しても敵わない荘厳な景色でありました。正に感無量、見た人間にしかわからない、偶然にもその時を共有した特別な人間にしか味わえない人知を超越した特別な時間…


友達と並び、呆然圧倒。言葉に出来ない、言葉が出ない…おそらくその時僕らは神の領域に踏み込んでいたと思います。


うんこしながら。


そう、1,700キロの旅って事は単純計算で片道850キロ。もよおしますわなそりゃ。何も障害物が無い、誰も来ないってわかってりゃするっしょアンタだって?映画館で一人きりだったら足上げるっしょ前の席に?自分んちだったら裸でも恥ずかしくないっしょ?好きな人の前だったらなるっしょ生まれたままの姿に?それと一緒っスよ!その旅路では対向車線のヘッドライトが見えてから横を通過するまで数分かかってたモンだからよかったんスよ別に。


だってしょーがねーじゃん友達と並んで野糞してたらたまたま遭遇したのっ!その場面にっ!!神の領域にケツ丸出しで男二人マーキング、土足でドカドカ踏み込んでしまいました。僕らと太陽の間を遮る物など何も存在しないハズの荒野に、ある意味人工の遮蔽物が2つ。茶色い大地に深く深く溶け込んだ、それは間違い無く僕らが生きていた証。嗚呼、今度行く事があったら探しに行こう僕の生きた軌跡。


その時に学んだ事は興奮(感動)しながら何かしら出す行為をしたら、気持ちイイって事。汗かくのも、歌を歌うのも、セクースするのも、体から何かしら出す事は気持ちイイ事なんだって、そう思います。ストレスを溜める、自分は無力である、彼女(彼氏)が出来ないって、inな気持ちは不快感を持たらすモノであり、outな事は気持ちイイ。「旅に出る」それも日常からの脱却、平凡な日々から飛び出すから気持ちイイんだっ!


金を出す、以外は。重力と現世に逆らって下から上に逆流するモノ、それは金しかねっス。札束のフロ桶に浸かりてぇ〜!「金しかね、金だけは持ってっぞっ!」って言ってんのにモテないのが最近の悩みでありますオカシイナァ〜?